淡い水の如し

句も書くけれど、エッセイも書きたい。

エッセイというか、身辺整理を書きたい。或いは──人生の恥を書きたい。

私はトラウマを抱えている。

それが無意識的なものもあるだろう。それを書く事で炙りだしたい。

そして人生、一切を清算し、淡い水の如し、でありたい。

上手く書けるかどうかも分からないけれど、書いてみるつもりだ。

 

その、妻に「弱っちい」と形容される自分だけれども

私は力を持ちたいと思った事はない。

脱力こそ、賢い、とも思っている。

その多くは老子の考えにインスパイヤされている。

強くあれば、強くなくなったとき、愕然とする。

ときに米作家、ヘミングウェイのように

力を失った時、それは自死にも繋がってしまう。

だから

様々に形を変化する水のような柔軟さを持つこと。

水は、時に壊滅をもたらす。

しかし、コップ一杯の水は、別段、強くはない。

それで良いと思っている。

否、そうありたいと願っている。

欲を言えば、淡い水の如し、だ。

 

散歩に出かけてくる。

悩み多い人生というか生活を俯瞰する。

 

水の如くあれ強くあるなよ 濁水