精神の闘いと再生

小学一年生のころ、もうある程度、普通の文章ならば読むことができた。

掛け算割り算もすることができた。

教育熱心な母で、また祖父が算術の先生だったので勉強を

みっちり仕込まれたのだった。

本を読む事はその頃から好きで、漫画よりも活字だった。

当時はまだ素行も良かったので、学級委員に選ばれたりもした。

しかし、スポーツは全く駄目であった。

そして、小学校も最初のころはいいけれど

後半になってゆくにつれて、専門的な学習が多くなってゆく。

年度が改まる度に、学習についてゆけなくなっていった。

特に算数。

そうして、私は多汗症のケがあって

そのことで同級生にからかわれたりもした。

このからかいは、高校生まで続くことになる。

陽気にふるまって受け流していたが

統合失調症の事を鑑みると、中学~高校

それで相当のストレスを受けていたような気がする。

今でも妻に「汗の匂い」の事を言われると

ゾッとする自分が出るようになってしまった。

中学の学業はともかく、塾ブームのようなもの

これが今もあるのかどうか知れないが

塾に通っている馬鹿たちが、普通授業の方をふざけて

授業をつぶすのである。

それで塾に通っていないわたしのようなものが

正当に教育を受ける事はできず

また田舎教師も同じくして授業でノッてふざけるから

一体私の授業にかかる金銭は何に使われているのか

教頭先生に相談しに行った事もある。

教頭先生は、学業が駄目ならスポーツをやりなさい

という事で、私は奮起して、陸上の800メートルに取り組んだ。

すると、初めての大会で市内8位に入賞できたが

中途半端に成功体験がつくともう駄目で

周りは大会の為に練習しているが

私は自分の為に練習していたのが更に駄目だったので

芽が出なかった。

そうして、詩、文学、そしてザ・ビートルズの世界に

どっぷり嵌まりこんで現実逃避を決め込んでしまったのである。

この現実逃避の癖は、今でも残っている。

そんなで、もう学業を放棄してしまったから

高校は、自己PR試験のある工業高校に入るより他無かった。

学業を放棄して、素行が悪くなっていたのを

体育教師にいっぺんに見破られてからは

先の同級生のからかいもあり、非常にストレスとなったが

なんとか三年間通った。

工業高校に三年通うのも、実は大変な事で

中には自主退学する者や、何か悪さを起こして謹慎する者が

多かったように思える。

それで定員割れを起こしているならば、やはり仕方ないのである。

統合失調症を発症するには私の言葉では「東京時代」だけれど

もうこのとき、その病気の小さな芽は

出ていたのかもしれない。

そうして病気を発症するまで、その「東京時代」というのは

好きな音楽に熱中できて幸福であったように思える。

私の尊敬する自由律俳人種田山頭火」も上京しているが

関東大震災を被災して

人生の、強制的なリセットが入ったと私は考えている。

そうして、私を襲った強制的なリセットは「病気」であった。

統合失調症」であった。

しかも、帰郷してすぐ、そんな診断が下りたわけでなく

何年か、タイムラグがある。

私はそのとき帰ってきてからも、懸命働いていた。

そうして失敗をくり返し、トラウマを増やしていった。

だから、早期に「統合失調症」だと診断された場合

私のように五里霧中の道を行くよりかはいいであろう

と思っている。

私の恥ずかしい話も参考になれば幸いである。