妻が持病で芳しくなくて、私が代わりに、食事以外の家の事をする事になった。
妻は芳しくないのに、それでも、ベッドでじっとしていられない娘で
いろいろとするから、復調しては悪くなり、復調しては悪くなり、を
くりかえし、ズブズブで、一体当人がどういう了見を持っているのか
一向にわからないし、きっと当人もその了見がどういうものなのか
わかってきたのが、昨日━今日で、それまで妻は混乱のさなかにあった。
そうして、妻が横になったり、横にならなかったりしている合間にも
家の清掃、キッチン、皿洗いの片づけ、フロアー掃除、トイレ掃除、炊飯
は行わなければいけないから
この一週間はひたすら、一、掃除、二、信心、といった禅のこころで
掃除を中心とした家事を行った。
つかれてしまった。
妻は休めばいいというけれど、そもそも論、この家の清掃は徹底されていなかった。
それは妻と私とどちらが悪いというでない。書いてしまえば二人とも悪かったのだ。
だからそれを「改革」したくて、懸命家事を行った。
気づいてみたらば、日曜日で、一週間以上は掃除をした事になる。
枡野俊明著「人生を好転させる 掃除道」という本を買ってきた。
掃除道は厳しかった。生半可なわたしである。
筋肉痛をおして掃除してみてわかったのが、やはり
楽しくなければ続かないということであった。
しかし、掃除に終わりはない。
何かそこらの汚れをさっと取るときに、わたしは小さな、ドラクエでいう
スライムをバン、と倒したような快感を得るに至った。
この調子。この調子。
私は今日も掃除道を歩む。そうして妻の回復を願うばかりである。