ブルーにこんがらがって

今朝は三時に目が覚めて。というのも、昨日眠る事が早かったので。

妻は未だ眠っている。当然。

この一人の贅沢な時間を、コンビニまで買い物に出たり

自由律俳句を書いたり、坐禅して過ごす。

 

昨日は妻が朝からこんがらがっていた。

ボブ・ディランに「ブルーにこんがらがって」

という曲があるけれど

まさに妻は「ブルーにこんがらがって」いた。

こころが。こころから発生する思考が。そうして体までだるそうで

可哀想で、悲しくなった。

 

迷妄。悩み。

妻のそれらは、多肢にわたっており

あちらこちらへ、彷徨っているようだった。それでは疲れる。

 

わたしも色々、智慧をフル動員して、話しかけたけれど

それで「ブルーにこんがらがって」いる妻が

もっと「こんがらがって」しまう事もいけない。

だから、アドヴァイスはアドヴァイスとして

「参考」として聞いて欲しい、旨伝えた。

 

というのも、「参考」にとどめないと

私の事を「信じる/信じない」という

とても危険な領域に、二人入ってしまう。

「信頼」はいいけれど「信じる/信じない」は危険だ。

それに私を「信じた」場合

それで、マズくなった場合

人は、妻は、きっと「私のせいでうまくいかなかったんだ」

といって、責任を転嫁する余地を持ってしまう。

まあ、夫婦間なので、それでもかまわない部分があるのだろうけれど

私は妻に、最終的な責任は、自分でとってほしい、というか

「人がこういったからこう行動して失敗したけれど

 その、人の意見を採用したのはあたしの責任だよね」

ってところまで、落とし込み、考えて

落とし込み、落とし込み、そうすれば、落ち着くから

あとは安心したここちで、過ごして欲しいと、願っている。

 

というか、これは妻に対して限った事じゃないんだけれど

私は私を思い返してみるに

やっぱり

「人をコントロールしようとする」

っていうのは、あんまり健康的な事じゃないと考えている。

言葉による、マインドコントロールは最低で

だから、広告とかも毛嫌いしているんだろう。

私の世代でもあるけれど

マスメディアや広告に対する嫌悪感は

「人をコントロールしようとする」

事に対する、本能的な違和感から来ていると考えている。

 

だから

妻には本当

私の言う事は、参考程度にして

自分で自分の人生を引き受けて欲しいんだ。

それに大変だけれど

その方が絶対、人生が楽しくなるし

今以上、賢くなれるだろうから。