パートナーと何か確約することを怖れてしまう。
そもそも、意志が弱かったり、誘惑に弱かったりすると
反対にプレッシャーを敢えて自分にかけようとして
パートナーに「有言実行」して
何かを確約しようとしてしまう。これはそもそも心が弱いからだ。
「有言実行」しても、そんな弱さから発している「有言実行」なので
成功することはできない。
そうすると、パートナーから矢のように批判の言葉が放たれて
成功できなかった、やっぱり崩れた心に、更にダメージを負ってしまうのだ。
例えば禁煙など。或いは買っていただいた衣類を大切に使用しようとするとき。
ここで僕などの阿呆も学習する。つまり「有言」してしまったからいけなかったんだと。
言葉が先に無ければ確約もない。相手に責める義理はない。
それでも禁煙はしたいし(最終的に)、衣類も大切に扱いたい。
そこで考えられるのが「不言実行」である。
最初に言葉がない。ただ手にかけられる範囲で黙々とやる。
ここで気にかかるのは「有言実行」を過度に求めてくるパートナー側の
存在であるが、自分の自己効力感、自己肯定感、ダメージの軽減のためにも
「うっかり有言」だけは絶対に避けなければならない。
ひとは他人を思っているほど、大切に扱ってくれない。
仏教徒であれば別であるが、何事も不言実行を主とすべきであると学んだ。
そうして言葉を失ってゆく──・・・そもそも自己実現の為に
パートナーを利用しようとしているのが悪いのです。
コミュニケーションの減少ということも考えられるが
相手にストレスの種を与えないだけ善なんだと学習した。
それでも何か言いたい人間はこの世にパートナーに限らず
多々存在するもので、人生はさびしい。
その人生のさびしさを身に受けて、今日もにゅるにゅる、不言実行。