新年の抱負を書こうと

 本当はこうしてブログを書いて、業だけれども、ブログを発信しているのも、憚れるという風に、元旦に起こった石川県の地震というのは未だ、私に影響を与えているし、日本人はこれを憂いていると報道を思った。

 その、ブログを書く、というのはエンターテイメント、自由律俳句というのは芸術、そうして備忘録、という側面もありつつ、エンターテイメントの側面もあると思う。

 一方で地震の被害を憂いつつ、エンターテイメントも行っているという状況にあって、何とも心的バランスが悪いといった感慨を持っております。

 それでも、自分の憂いを発散する意味でも、自由律俳句を書いて発表することは私にとって必要なことで、これは本当に申し訳ないという気持ちで一杯です。

 ここに哀悼の意を表明させていただきます。

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 私は太平洋側に住んでいるので、その、元旦の地震に関して全く影響はありませんでした。

 これほど幸福なことはないと考えており、それでもいつ、自分が被災するか知れない身を思えば、一日、一日を惜しんで、精いっぱい生きるしかないだろうと。

 句を書き尽くしてゆくしかないだろうと。

 句は私に残された最後の道でしかないのであって。

 言ってしまえば、2024年は、地震によって出鼻をくじかれてしまった。

 それでも生き残った身として、この2024年を少しでも良い方向へ、日本人として良い方向へ日本を持ってゆくしかないという、気概を負いました。

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 その、先の東日本大震災の被災者の方がXで、自粛だけはやめてくれ、被災して自粛されると、精神を病む、というポストを読みました。

 といって、私は気の効いたことも書けない。

 ただ、粛々、日々の生活をうそいつわりなく詠むだけです。

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 明日から父の古稀祝いで親族で旅行に行ってきます。それでも、地震のことは常に念頭にあるでしょうし、なんだろう、営みにおけるバランス感覚といいますか。

 それはインターネットで何か発信するということについて言える。

 ああ、新年の抱負について書くのでしたね。

 つまり粛々と私は私にできることをしてゆくしかない。

 それには頭も使う。

 そうして、明日からの旅行では初詣にも行く予定ですので、皆々様がこの

一年、その幸福度を増して日々暮らしてゆけることを願ってこようと思います。

 被災された方に関しましては、いつかも思いましたが言葉は無力です。

 それでも私は、粛々、じぶんの詩(うた)を、詠んでいこうと思うのです。